あのころのインターネット
Anotherみたいに俺も眼帯して学校通いたいな〜!と最近考えながら学校に登校していました。単位無事に取れたのでニヤニヤしてます...。
自分の目は右目よりも左目の方が好きなのでどうせ眼帯で隠すなら右目の方にしたかったんですが、高評価な方の左目が麦粒腫で死んでて泣きたくなります...。
なんだかんだでTwitterを辞めないままもう年が終わりに近づいてて苦笑いを浮かべています。12月ってどういうこと?2019??????
ドラクエで言うなら受験もそれなりに後半の方の村に辿り着いてる感じなんですかね。
割とステージは進んでるけれどレベルが低すぎてもう周りの魔物でレベル上げも出来ないしレベル上げが出来るところまで戻ることも出来ないみたいな状態、あるあるですよね。
まさにこの例がルビサファ。パッケージのグラードンの厳つさに惚れて足を踏み入れたあのゲーム、5歳児には馬鹿みたいに難し過ぎて。
序盤の鬼門のハルカを親戚のお兄さんに無理矢理やらせて乗り越えるもバシャーモしかまともに育てずにフウとランに挑んで匹数で既に負けていたのは今思うと微笑ましい。
最近、アカウントを開かないチャレンジには何度も挑戦しているんですが、脳の髄の髄、細胞の隅から隅までにインターネットが染み込んでしまっているので大体辞めようと決意してから3日をピークにヤバめの感情の波に襲われてしまうのでなんだかんだで開いています。怠惰ですね。
そのままインターネットの馴れ初めの話としてアメーバピグ時代の話を掘り下げようと考えていたのですがここまで書いてて気持ちが萎えてしまった。
このままずっとアメーバピグの話は一生書かれることも無いまま無限と虚無の狭間に消えていくかもしれないのは流石に悲しいのでざっとだけ書きたい。
インターネットを触っていてふと昔見ていた物に触る時があると思うんですがTwitterのシステムで賄えない物をそれで満たせるな〜って気がついた時に恋しくなりますよね。そんなノリでアメーバピグの記憶が最近頭によく浮かびます。
Twitterとは仕様がかなり違かったあのサービス。恋しくなるのはゲームのやり込み具合がアカウントの価値として目に見えて反映されていたり、12時を超えた先からみんなのログイン通知が蔓延って急に友達が自分の部屋に来たりする世界観だなぁ...。
普段関わりのない不登校だったクラスメイトの女の子に「(俺の苗字)さんっすか?」って話しかけられてそのまま学校では話さないけどパソコン越しには少し絡む、なんてちょっと今思うと死ぬ程エモいこともありましたし。割と今のTwitterに飽きかけてるからこそあの古き良きインターネットの香りが真新しいのかもしれない。
これ以上書くと普通に気持ち悪いのでそろそろおわりです。
……いつも終わりの時におわり。って書いてるのがジブリ作品を見終わった時みたいな気分になれてちょっと好きだ。
おわり。